8月5日のひぐちまり還暦お誕生会と健治とまりの真珠婚式には
92歳の母が姪っ子二人と一緒に大阪から参加をしてくれました。
このパーティを開きたかった理由のひとつは、実は、母に、
私が今どんなに素晴らしい人達に囲まれているのかを
どんなに幸せなのかを見てほしかったからです。
母には、反発ばかりしていた私です。
だから、母に大丈夫だからって、伝えたかった。
幼いころ家族の中に居場所がみつけられなかった私は、
高校を卒業して大阪の家を出て、東京で暮らし、専門学校に通いました。
大阪を出るときに「ここにもう私の帰る場所はない」と思っていました。
家族になじめず、母や父を「あの人」と呼んでいました。
外資系の銀行に就職が決まった時は、銀行員だった父はとてもうれしかったようです。
わたしはそんな父を「今更なによ」という冷めた気持ちでみていました。
その後、結婚し、起業した私を両親は随分心配していたと思います。
両親にほとんど仕事の話をしたことはなかったです。
それでも、きっと、私が苦しかった時、母は察していたのだと思います。
東京の実家を母が訪ねる際に、同行した私に私の状況を知ってか知らずか
母は「困ったらいつでも大阪に帰って来るのよ。」と言ってくれていました。
ぎりぎりの状況だった私は、そんな母の言葉さえ鬱陶しく感じていました。
でも、今思えば、母がそう言ってくれたから意地をはって頑張れた気がします。
今思えば「最後は大阪に帰れる」
それが私の命綱だったような気がします。
だから頑張れた気がします。
あの、ぎりぎりの状況でも踏みこたえられたのは、
「たとえどんな状況でも受け入れてくれる人がいる」
そんな、母の無償の愛のおかげだと今になって思います。
母は、私の尊敬する女性です。
還暦になってね、やっと、心からそう言えるようになりました。
私も母のように、だれかの支えになれる人でありたいと思っています。
精進します。
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