エンパワメントフィロソファー
ひぐちまりです。
4月14日のライブ配信
「愛してやまない人生を本気で生きるには?」には、
視聴者の方からの洞察の深いコメントもあり、
私自身、多くの気づきを得ることができました。
思考が不自由だと、人生も不自由です。
色々なものに縛られて
自分で選んでいるつもりでも、選んでいないのです。
多くの人は、制限は
環境や状況によるものだと考えます。
違います。
制限をかけているのは自分です。
縛っているのは自分です。
そして、何に縛られているのか、
ほとんどの場合、気づけていないのです。
人間は認知できるものしか扱えません。
だから気づけないと
無自覚に自分を制限し、
その制限に葛藤しながら生きることになります。
その制限を外せば
もっと自由になるのに、
もっと世界は広がるのに、
もっと可能性は広がるのに。
あなたはその制限、外したいと思いますか?
そのためには、
「自分が自分を制限しているのかもしれない」
という可能性に立って、
「制限しているとしたら何なのだろう」と
自分を俯瞰してみることです。
ライブ配信の中でも、
「愛してやまない人生を生きることを
止めているものはなんだろう?」
という問いに取り組みました。
大概の場合、制限は恐れです。
視聴者のお一人が
「やってみて変わらなかった時の虚しさ」と答えてくださいました。
これも、傷つくことへの恐れと言えますね。
これに私はグッときました。
ライブの中でも話しましたが、
まあまあやって、うまくいかないのは
「本気出したらできるんだけどね」とか
ごまかせます。
でも、本気でやって、できなかったら
どんなに傷つくだろう?
どこかでそれを察知して
傷つくことを避けるために、
だったら「やらない方がまし」と考えるのが人間です。
我々はこれを「がっかり予防線」と呼んでいます。
先で大きながっかりをするよりは、
今、小さながっかりをしておこう、というような。
もちろん、意図的にやっているわけではないです。
無意識でやっています、
傷つかないために、自分を守るために。
けなげですね。
こう考えていることに気づかなければ、
ずっとこのパターンを繰り返すしかありません。
でも、
「ああ、これが 自分を制限しているのか!」
と気がついたら、
それを乗り越えるか、そこに留まるかを
選ぶことができます。
どちらがいいか悪いか、ではないです。
大事なのは、自分の人生なんですから、
自分で選択すること、そして、
その選択に責任を取ることです。
愛してやまない人生を本気で生きたら
傷つくこともあるかもしれない。
だからといって「傷ついてはいけない」となると、
それが次の制限になります。
傷ついてもいい
傷つかなくてもいい
どっちでも大丈夫、そう思えたら、
軽やかに選択できるかもしれません。
あなたは自分の可能性に
制限をかけていませんか?
自分でかけた制限なら、
かけていることに気づけば
自分で外すことができます。
ライブ配信を見逃した方は下記よりご視聴いただけます。
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テーマ:愛してやまない人生を本気で生きるには?
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あなたが愛してやまない人生を本気で生きる
ヒントになれば嬉しいです。
愛してやまない人生を生きることで、
あなたからたくさんの愛が
大切な人に伝わるといいですね!