〜哲学の小径:突き抜けたいなら、自己否定せよ!〜

エンパワメントプロデューサー
ひぐちまりです。

巷には、自己承認を求めたり
褒め方を教える人がたくさんいます。

あえて言います。

本気で突き抜けたいなら
「自己承認」を乗り越えた
「自己否定」が必要です。

なぜなのでしょうか?

同じ成果を出すのにも、
一発屋で終わる人と
成果を出し続け、
実力をつけていく人がいます。

その違いは何なのでしょうか?

自分の成功体験
得た評判や地位
自分の成功法則に執着し
次の高みのための自己否定ができない人は
一発屋で終わります

人間は、痛みを乗り越え
自分を否定し、
自分の枠を壊すことでしか
成長できないのです。

この「自己否定」する力をくれるのが哲学です。

なぜかと言えば、
哲学はそもそもが
「否定」の学問だからです。

哲学の歴史は、言い換えれば
アンチテーゼ(否定)の連なりとも言えます。

哲学者たちは、
これまで、人生をかけて、
時代によっては、命すらかけて
その時のテーゼに異論を唱え
アンチテーゼし、
新たなテーゼを産み出しました。

そのとたん
自分が今度は、誰かに
アンチテーゼされる立場になる。

中には、時代の寵児の座から
引きずり下ろされることもある。

それを繰り返してきたのが
哲学という歴史。

アンチテーゼされた哲学者は、
相手に対して、憎々しい思いを持つのか?
それとも、それさえも、俯瞰をするのか?

日本ので最高峰の哲学の研究をされている方に、
この疑問をぶつける機会がありました。

その方曰く、
「我々哲学者は
 むしろ、いつも自己否定したい
 自己否定されたいのです。
 自分が正しいと思うことを
 誰か否定してくれないかと待っているのです。
 何十年かけた研究、
 それを否定し続けたい。
 否定によって、さらに高めていけるから
 哲学者とは今までやったことを
 いつでも捨てることができる人達です。
 捨てることでどんどん、視野が広がり
 そして、真実に少しでも、近づけるかもしれないから」

私自身、哲学を学び、
随分と俯瞰できるようになったとはいえ
まだまだ自己否定に痛みを感じることもある未熟者です。

同時に「自己否定は痛みである」というのも
捏造の一つでしかないとわかると、笑えてきます。

そして、自己否定を自在にできたら
他者からの否定には
びくともしなくなります

視点に張り付いた感情という呪縛を解き
自己同一化から抜け出し、
強烈な自己否定に喜びさえ感じるには
学びを続けるしかありません

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