エンパワメントフィロソファー
ひぐちまりです。
ある哲学の本の帯に、こんなことが書かれていました。
「哲学が人生論だと思っているのは
日本人だけ」
ちょっと皮肉なイメージがありませんか?
「本当はそうじゃないんだけどね、
日本人は未だに
哲学は人生論だと思ってるんだよね」
そんなニュアンスがありませんか?
なぜそんな風に言われるのでしょう?
大人になって人生を変えようとする時、取り組むものって、
成功哲学、心理学、コーチング、目標達成メソッド、スピリチュアル、
そこらへんではないでしょうか。
私も随分やりました。
部分しか見えていなかった私は、
次々と新しいものが出てくる中で
置いていかれるのが不安で、
色々と手を出していました。
哲学を学ぶ前は。
これらの大元になっているのが、
ニーチェやサルトルに代表される
実存主義哲学です。
実存とは、現実存在の略で、
人間にとって一番現実に存在するのは自分自身ですから、
私にとっての真実、
「私の成功、私の幸せ」に取り組みます。
日本人にとっての哲学とは実存主義哲学であり、
それならば「哲学を人生論と思っている」と言われるのも納得できます。
実存主義哲学の代表格であるサルトルは
「人間は目もくらむほどの
自由を手にしている」とまで言いました。
つまり「人間は自分次第で世界を変えられる!」という考えです。
だとしたら、うまくいかないことが起きた時に、
自分の内面を見たり、過去を見たりするでしょうね。
自分次第ですから。
ところが1950年頃に構造主義が登場し、
実存主義を葬り去ります。
構造主義では
「人間は考えたいように考えているのではなく、
人間がどう生きるかは
その人が生きる社会の構造によって
コントロールされている」
という考えです。
だとしたら、
人生をよりよく生きようとする時に知るべきなのは、
個人の真理の追求でしょうか?
それとも
「社会の構造、それを動かしているルール」でしょうか?
実存主義と構造主義
どっちがいいか悪いかの話ではありません。
用途が、役割が、違います。
実存主義哲学は
自分のことを知ることにおいて有意義ですし、
自分についての新しい発見は楽しく、
新しい可能のように感じます。
人生に応用できますが、
全体を見たり、世界の分析はできません。
ひと昔前の、
言われたことをやる時代、
世の中が同じ価値観で動いていた時代、
正解があった時代は
それでもよかったでしょう。
でも、世の中が多様化し、
これまでの正解が通用しなくなった
今の時代はどうでしょう?
構造が見えたら、
「私が、私が」という視点でなく、
全体の中で自分をどこに位置付けるのかを考えることで、
自分のポジションがつくれます。
流れを活かしてリーダーシップが取れます。
結果、周りを活かし、飛躍的な結果を生み出します。
それも素晴らしいですが、
構造的視点を持つことで
自分が幸せになるだけでなく、
周りの価値を上げ、幸せの連鎖を起こせるんです。
エンパワメントライフプログラムが
構造主義以降の哲学を
バックボーンにしている理由はここにあります。
構造的に見る、
自分を俯瞰して見る力を鍛えましょう!